皆さん、剣道には最終的な目標があることをご存じですか?
全日本剣道連盟のホームページに載っているのですが、そこにはこの様に書いてあります。
『剣道は剣の理法の修練による人間形成の道である』
私がこの言葉を聞いたときはまだ小学生のときで、
何となくいい言葉なんだな 位の感覚でした。
昔の人は何でか難しい言葉を使いたがりますよね。
意味がわかるようなわからないような…
今回はこの大きな剣道の目標について
密かに六段昇格を目指す私が、主観もりもりで解釈していこうと思います。
※個人の考え方なので細かいところは目をつむっていただけると幸いです。
剣の理法とは技のキレや、相手と対峙したときの心持ちを表しているのだと思います。
剣道には自分から攻めていく攻め技の他に相手の攻撃を返す”返しわざ”や”応じわざ”があります。
当たり前なのですが剣道は対人競技なので、おのずと相手のことを考えなくてはなりません。
もっというと心理的に追い詰めたり、誘導することで打ってほしいわざを打たせ、そこを返す
なんていう勝ち方があります。
これは、竹刀と竹刀が触れたときに、「打ちたそうにしているな」とか「こちらの出方をうかがってるな」とかそういう相手の気持ちを感じとる力をつけていかなくてはいけません。
自分勝手に打っていくと時々は当たることもあるかもしれませんが、結果として自己満足の世界で終わってしまうでしょう。
それでは相手は必要なくなってしまいますね。
相手のことを考えてそれに対して行動していく点では、社会生活の中でも重要なことではないでしょうか?
例えば会社で、『この人の得意なことはこれだからこれを任せてみよう』とか『あの人は協調性があるから皆の間を取り持ってもらおう』と、相手のことをよく見ているからこそわかる特徴をいかして仕事をまわすと良いサイクルが生まれてきます。
ちょっと昔の話ですが、鴨頭さんのYouTubeで
『一人の人の良いところを100こ書き出してみる』
という話がありました。
普段相手のことをよくわかっているつもりでもいざやってみると半分のも書けないよ
とのことでした。
ちょうどそのとき、気の合う後輩が数ヵ月後に退職するというので
私もどの位できるのか試してみました。
1年間は一緒に組んでクラスを運営していたので、
すらすらいけるかと思ったら、20こ前後で一度ペンが止まりました。
そのときに”あぁ、わかったつもりになっていたんだな”ということがわかりました。
(その後、よく相手を観察して100こ書き上げました。大変でした。)
話がそれてしまいましたが、人は誰でも『わかったつもり』に陥ることがあるみたいです。
これは剣道においても同じで、せまい試合会場の中、1対1で向き合っているのに、
よく相手を見て観察していないと、相手に”打たされてしまう”という結果になってしまいます。
ここまで、剣の修練を積みながら相手をよく見るということについて
解釈してきました。
次に、そこから発展して人間形成の方に移っていきます。
剣道の世界では、厳しい稽古がいくつもあります。
その中で、動きについていくのがやっとの人と、どんなときでも自分で決めた目標や指導していただいた先生の助言を忘れずに稽古をする人と2種類にわかれます。
もちろん後者の方に人は集まって来ます。
それは上手い下手関係なく、一生懸命頑張っている人を回りの人は自然に応援したくなるからだと思います。
稽古の辛さや、その中で思考し続ける難しさを回りの先生方も十分に知っているからなんでしょうね。
そういう点ではみんな同じ条件の公平な関係ですね。
実社会の中では、公平ではない条件のところが多々ありますが、
常に色々な考えを巡らせながら行動している人と、言われたことだけをこなす人では
回りの評価も違ってきます。
私は20代半ばに剣道の世界に戻ってきました。
かれこれ6年くらい続けているのですが、
上の先生にアドバイスをもらえるようになったのは去年の秋ごろからでした。
理由は単純で、出戻り当初はやらされている感覚で、つい最近になって自分から稽古をしようという気持ちになった。
つまり、主体性を持ち始めました。
詳しい理由は色々ありますが六段という低くはない目標に向かって稽古をするのに1から自分の剣道を見つめ直しました。
そこからは、いかに理由をつけて稽古を休むか考えるより、いかに前の稽古の課題を克服していけるかに考え方が変わっていきました。
外の稽古にいってももらえる言葉の種類が増えたり、稽古の機会を作ってくれたりと、
気持ちひとつ変わった結果、回りの見る目も変わっていったのを肌で感じました。
よく見ていると、同じ市内で回りの同情の先生方を引っ張っていってくださる先生は、
言動はあか抜けていますが、その先生自信が自分の剣道のあり方について誰よりもまっすぐ向き合っているように見えます。
剣道は剣の理法の修練による人間形成の道である
この事に30代でようやっと向き合う準備が整ったので、
これからも剣道に、なにより自分という人間を形作っていきたいと思います。
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